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ディープインパクト [MY SWEET HORSES]

 “英雄”という言葉から想起されるイメージ。彼の姿とは、かけ離れているように思えてならない。何をどうしたら、“英雄”という言葉を用いよう、と思うのか。追随して使いだした他メディアにも、疑問の念が湧く。




 

 彼は“天才”だ。
 走っているときの、あの全身から発散される“喜び”は、ピッチの上で嬉しそうに笑うロナウジーニョと同じものだと思う。
 ピットの中で、にこにこ笑い、おどけた顔で手を振るヴァレンティーノ・ロッシ。彼のマシンの上の背中からはオーラが発散されている。やはり同じ“天才”の持つ空気だと思う。
 彼らは力を出さなければならない場面で、それを楽しみ、喜び、そして余すところなく、その力を出すことができる存在だ。それもまだ、余力を残したままで。


 

 “お坊ちゃまくん”と呼ばれるディープインパクトの大きな瞳。きょとん、と見つめる顔は優しく、担当厩務員の市川さんに擦り寄る様子は、本当に大きな甘えん坊さんそのものだ。
 思い切り走りたくてしかたなく、調教助手の池江さんに叱られたり。ウイナーズサークルでの口取り写真。豊さんに首を撫でられて、誇らしげな顔で耳を前に向けている彼は、愛されるために生まれてきたのだ、と素直にそう思う。見た者を夢中にせずにいられない。その強さ、その速さ、その瞳で。

 

 菊花賞を制した後、『年内に、もう一戦』と発表されたとき、正直言って嬉しくなかった。
 ゆっくり休ませてあげたかった。というより彼が休むことで、私が安心したかったのだ。
 3冠を制した彼の登場シーンは、東京競馬場のジャパンCか、中山競馬場の有馬記念の2つに限られる。ジャパンCは、ローテーションが忙しく、暮れの中山競馬場は、洋芝になり色こそ昔に比べて緑を保っているが、荒れているのは間違いない。
 どちらを選んでも、滋賀・栗東からの長距離輸送になり、負担は避けられない。それでも一方を選ぶのなら、経験のある府中2400メートル・ジャパンCを望んでいた。


 しかし、陣営は有馬記念を選択した。
 結果は、初めての敗戦。先に抜け出したハーツクライを捕らえきれず2着に終わった。敗戦を目の当たりにしたスタンドのファンは、いったいどういう気持ちでいたのだろう。歓声は悲鳴に変わり、言葉にならない空気は、どよめきすら小さなものにした。
 私は、初めて彼のレースを、仕事先のテレビで見ていた。

 


 

 ホッとした。
 負けてもいいのだと、本当はずっと思っていた。無事でいてくれさえすれば、といつも願っていた。
 同じぐらい、彼が負けるシーンを見たくないと強く強く思っていた。勝ってほしい、と願っていた。
 ただひたすら楽しみに、ワクワクして見ていられたのは、わずかに新馬戦の一戦だけだ。若駒S、弥生賞、皐月賞と勝ち進み、ダービーを圧勝した。どんなに『大丈夫ですよ。負けるはずないです』と周りに言われようと、ワクワクするだけの、彼の走りを楽しみにするだけではもう、レースに向き合えなかった。
 勝った後は、お決まりのように“何事もありませんように”と、すぐに思う。翌日の紙面には、“無事”の文字を探していた。夏、放牧先から戻ってくることのできなかった大好きなタニノギムレット。神戸新聞杯を完勝し、強敵との対戦が待ち遠しかったキングカメハメハ。振り返り、そのたびごとに緊張した。

 

 夏を無事に過ごすこと。元気に秋初戦を迎えること。
 そして―
 最後の1冠。菊花賞のゲートに、大きな黒い瞳が輝くこと。
 

 

 

 積年の思いが叶う瞬間を迎えた。どういうリアクションを取ればいいのか、自分のことなのに戸惑っていた。
 今、思い返しても、不思議な感じがしてしまう。あの子が3冠を無敗で制したこと、すべてのレースを最初からずっと見続けてきたこと。期待して、予感して、それがすべて現実になったことが、なんだかまだ夢のような気がしてならない。

 張り詰めていた糸が、プツリと切れて、手繰り寄せるようにまた、引っ張られるグランプリ。シンボリルドルフもジャパンCで負けている。彼のタフさは、その後の有馬記念を勝つことで完璧なものとされたけれど、“負けたことがある”というのは、この先必ず意味を持つようになる。
 さらなる高みを目指す存在。だからこそ、負けたことをそれほどまでに思うことはなかった。“敗戦を経験した”ディープインパクトは、必ず強くなる、と心の底から思っていた。

 



 

 ハーツクライ

 年明けの芝2000メートルでデビュー勝ち。2戦目で早くも重賞に挑戦。3戦目の若葉Sを勝ち、クラシック初戦・皐月賞で惨敗を喫した。母アイリッシュダンスは、GI勝ちこそないが、牡馬を相手にGIIIを2勝。父トニービンの血統バランスを含め、初子からサンデーサイレンスを選んできた。
 春、京都新聞杯で皐月賞の敗戦を払拭。ダービーでは5番人気ながら、最後方から鬼脚を駆使してキングカメハメハの2着。上がり3ハロンはメンバー最速だった。
 秋初戦、神戸新聞杯。ダービー馬との再戦。道中、キングカメハメハをマークする形で後方を進んだが、4コーナーで先に動いた彼を捕まえきれず、それどころか前にいたケイアイガードを差すこともできず3着に敗れた。
 上がり3ハロンは、キングカメハメハの33秒7に、わずかコンマ1秒足りなかっただけなのに。

 

 菊花賞、ジャパンC、有馬記念、と果敢にGIに挑んだが、芳しい結果は得られず、“ダービー2着”も輝きを失い始めていた。4歳になり、GI常連組となったハーツクライは、3戦して2着2回。善戦はするけれど…。京都新聞杯の勝利から、1年ウイナーズサークルから遠ざかっていた。そして相変わらず、最後方から差す競馬、に徹していた。
 夏を越して秋。ディープインパクトの“無敗3冠制覇”と、ゼンノロブロイの2年連続“古馬王道制覇”の偉業に注目が集まった。ディープインパクトは菊花賞を制し、ゼンノロブロイが天皇賞を勝てば、“いつか”の対戦が盛り上がることは間違いない。しかし、古馬戦線には新たなムーヴメントが起こりつつあった。

 宝塚記念を制したスイープトウショウ、札幌記念を勝ったヘヴンリーロマンス。牝馬の台頭だ。
 3歳世代も、ラインクラフトがNHKマイルCを勝ち、日米オークスを制したシーザリオは、寒竹賞で牡馬を一蹴している。ディープインパクトとシーザリオの対戦を、心ひそかに楽しみにしていたファンも多かったのではないだろうか。
 初の天覧レースとなった秋の天皇賞。ウイニングランの後、スタンド前に戻ってきたヘヴンリーロマンスと松永幹夫騎手が、ヘルメットを取って馬上でお辞儀をしたシーンは、今でも脳裏に焼きついている。

 

 11番人気7着のハットトリックの上がり3ハロン32秒6は、メンバー最速だった。彼が後にマイルCSを制す。15着に敗れたリンカーンだが、ここではレースをまったくすることなく終わっていた。
 17着のアドマイヤグルーヴについては、“終わった”という評価がなされたようだが、引退レースとなった阪神牝馬Sの勝ちっぷりは、さすが、と思わせるすばらしい内容。レース後のスタンドからの拍手が、彼女の美しさを反映していた。
 2番人気も、ひっそりと6着に終わったハーツクライ。彼の転機もここにあった。

 

 ルメール騎手だ。
 ゼンノロブロイをマークする形で運んだ中盤。結局は流れが向かず、掲示板をも外す結果となったが、このレースがルメール騎手に与えた印象は大きかったのではないか、と思う。ジャパンCは後方からではあったが、内をうまく突き勝利を手にしたか、と思ったほど。折り合いに進境を見せ、差し一辺倒でなくても、という感触を彼はつかんだに違いない。
 そして迎える有馬記念。“後ろから”というのはディープインパクトと同じ形。それなら、と思い切った先行策に出た。だが、全くもってしたことのない、というわけでは決してなく、デビュー勝ちを飾った新馬戦でも3番手からの抜け出しを決めている。

 直線、逃げたタップダンスシチーとコスモバルクをかわし、先頭に立ったハーツクライ。追い込んできたディープインパクトの脚音は、彼の耳に入っただろうか。最後の坂を駆け上がる。粘り切ったハーツクライは半馬身、ディープインパクトの追撃を抑えていた。



 

 有馬記念は、いろいろなことを想像させた。
 個人的には、ディープインパクトについて、どういう競馬でもできると思っているし、たぶんマイルでも何事もなかったように勝つと思う。
 序盤はゆったりと折り合い、3コーナーあたりで前に出ていく。最終コーナーでは先頭に立ち、直線は圧倒的なスピードで、すべてを置き去りにしてしまう。その形が最も美しいのだろうとも思う。
 けれど、“もしかしたら”“ひょっとすると”が、どうしても出てきてしまう。杞憂に過ぎないとしても、差し届かないときがあるかもしれない、を、ハーツクライが現実のものにした。

 ドバイシーマクラシックの横綱相撲。さすがにあれをされてしまうと、さしものディープインパクトでも、差し切れないかもしれない、と思った。
 後ろから差されることは、絶対にない、と信じていても。





 

 ハーツクライ不在の天皇賞。
 負ける要素はひとつもなかった。こんなにも彼のレースを、ゆったりとした気持ちで見られたのは初めてのことだった。ゲートから、またポコンとヘタっぴいなスタートで出てきたあの子は、ポテポテな格好で最後方を進んだ。
 菊花賞がウソのような、お利口さんな走り。口元が緩む。かわいいなぁ、と愛しささえ感じながら画面を見つめる。ほかの子の走りも見てはいたけれど、気になることは何ひとつなかった。ただあの子だけを嬉しく見ているだけだった。

 

 3コーナー。
 青い帽子がスルリと動いた。異次元の走り。ただ一頭だけ違うレースをしている。
 豊さんの背中は動かない。
 圧倒的なパフォーマンス。スルスルスルと、あっという間に先頭に立った。直線を向いて、ディープインパクトのタービンが回る。今まではアクセルを、少し踏んだ程度だったのだ。弾ける馬体は空を飛んだ。

 

 圧勝。電光掲示板にはレコードの赤い文字。

 

 

 


 

 
 『世界一強い馬だと思います』
 ―世界から愛される存在になるときは近い。 


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コメント 2

それにしても馬券の相性がよくない馬だ。
by (2006-05-07 23:16) 

柊なお

 放蕩息子さん、こんばんは~♪
 相性が良かったのは、私はスイープトウショウとバッチリでした。
 んもー、“来ない”っていったら絶対来ませんでしたもん。特に2歳~3歳は、ほぼ完璧に合ってましたです。嬉しかったのはオークス。
 そんな彼女がきっと目指していただろうヴィクトリアマイル。ヤマニンシュクル、楽しみですねッ!!
 メンバーは面白そうで、結構目移りします。わからないのはダンスインザムード。悩みます…。
by 柊なお (2006-05-10 19:49) 

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