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武豊は天才か   3冠達成の意味 [MY SWEET HORSES]

 『ミスターシービーが大好きだった』と言うと、とりあえず驚かれる。当時の年齢を考えると、まァ、それは致し方ない。
 2年連続で誕生した3冠馬。シンボリルドルフは、私の中の最強馬の座に君臨しつづけていた。

 歴だけは長いが、ところどころ空白がある。ナリタブライアンの3歳時を、私はほとんど知らない…リアルタイムでは。
 “3冠馬”がどういう存在なのか、皐月賞、東京優駿、菊花賞という3つのレースをすべて勝つことがどういうことなのか、その意味の大きさを理解することなく、ミスターシービーやシンボリルドルフを見ていた。ただひたすら、“強いんだなァ”と嬉しく思うだけだった。

 意味を知った上で、初めて“これは!”と意識したのは、アグネスタキオンだった。
 1つ上の全兄にダービー馬アグネスフライトを持つアグネスタキオン。ラジオたんぱ杯3歳Sを見て、その先の春を夢見た。弥生賞で彼を間近に見、間違いないと確信した。1冠・皐月賞を勝ち、次のダービーこそは圧勝だろうと思った。彼を見た人は誰もがそう思っただろう。
 2冠を制したネオユニヴァースが菊花賞に出走したとき、あの子を特別好きだったわけではなかったけれど、3冠馬誕生を見たい、と強く願った。祈るように見つめる画面で、同じ勝負服が1着でゴールしていた。ザッツザプレンティだった。

 


 

 武豊騎手との出会いは、私と競馬の関係をまたひとつ深くした。“騎手”という存在が、競馬には絶対不可欠なものだということを知った。『そんなの当たり前じゃないか』と思われるだろうが、それまでは馬が強ければそれでよかった。勝っても負けても、そこにあるものは馬の存在だけだった。
 騎手が勝たせるレースもある、ということを初めて知った。馬の強さだけではなく、“武豊だから勝った”レースが、目の前で行われたのだ、と感じるようになった。どこか身近に思えた若いジョッキーへの気持ちが、信頼に裏打ちされた憧れに昇華するのに、さほどの時間は必要なかった。

 アグネスタキオンもネオユニヴァースも、“武豊の馬”ではなかった。初めてその冠を戴いたスペシャルウィークは皐月賞で敗れていた。エアシャカールはアグネスフライトにハナ差及ばなかった。
 タニノギムレットの皐月賞には騎乗できず、アドマイヤベガは万全の調子で臨むことができなかった。

 “ダービージョッキー”の称号…ジョッキーの積年の夢。1年に1度、フルゲート18頭の18人にしかチャンスのない戴冠。のどから手が出るほど欲したその称号を12年目に手にした後、すでに4回の頂点をつかんだ。
 それでも…皐月賞を勝って、ダービーに挑むことの難しさ、ダービーを勝って、菊花賞に臨むことの厳しさ。それらすべてを手にすることの至難。
 ひたすら望むしかない、運命を。望んだところで叶うとは限らない、運命だから。

 意味を知り、そして、心の底から願った夢。チャンスが訪れた。一生に1度かもしれない…いや、一生に1度巡り合うことができればラッキーなのだ。
 度肝を抜く新馬戦、他馬が止まって見えた若駒S。待ちに待った東上。トライアル弥生賞。目の前で見る彼は、とてもかわいい坊やだった。
 山ほどある不安。負けてほしくなかった。後ろから差し切るスタイルは、小回り中山では届かないおそれもある。少しでもいい、前で競馬をしてくれ、と勝手な思いで見守るレース。間違いなく皐月賞のためのレースをするだろう武豊。3着までには優先出走権。それでも何でも、どうしても。
 負けてほしくなかった。勝って皐月賞へ。3冠を強く願った存在に、無事と同じだけ勝利を夢見た。

 ゲートが開いて、他馬が一斉にスタートした瞬間、一頭だけ大きくバランスを崩した。鞍上が振り落とされそうな前のめり。あれこれ取りざたされた皐月賞。次のダービーは確勝、と言われ、一番危ないのではないか、と言われていた戦前。軽んじられることの多い皐月賞だが、ここを勝たなければ、“3冠”への道は開かない。
 3コーナーから最終コーナーへ向かう道中、みるみる順位を上げるオレンジ色の帽子。一頭だけ違うレースをしていた。あっという間に置き去りにしていく馬群。直線に向いたときには勝利を確信していたのだろう…今にして思えば。

 ダービーは言われていた通りだった。何も悩むことはなかった。素晴らしかった。言葉は何もいらなかった。広い馬場の少し外よりを、まっすぐに駆け上がってくるディープインパクトは、楽しそうで嬉しそうだった。圧巻だった。
 いつもと様子が違っていた。何よりも“いつもと同じ”が一番、だと思っていただけに、不安が増す菊花賞。褒められこそすれ、アタマを抱えることでは決してない抜群のスタート。綺麗に出すぎた。口を割るディープインパクト。3000メートルの長丁場。ダメかもしれない、と、ここまで来て何で、と苦しくなる。
 向こう正面で折り合う。最終コーナーを回ってくるときには、直線粘り込みをはかるアドマイヤジャパンのまだ小さな後ろ姿。届かない―祈るように両手を握り締めた。無事ならそれでいい、もうひとつの真の願いが慰めるように脳裏を過ぎった。

 どうしたらいいのかわからなかった。もっと熱いものがこみ上げてくるのかと思っていた。菊花賞を勝った瞬間、力が抜けた。こうあるべきだ、というような反応をアタマが示そうとしていたが、すぐに諦めた。ただただ力が抜けた。ホッとした。強く強く糸を引っ張り続けたものが、プツンと切れて、床に崩れた操り人形のように、クシャリとつぶれた。
 弥生賞からこっち、負けないでほしい、という気持ちと、ただひたすら無事を願う気持ちとがないまぜになっていた。特にダービー後、夏の間、そして秋初戦の神戸新聞杯、それから菊花賞までは緊張が緩むことはなかった。

 すべてが叶えられた瞬間だった。糸が切れたのは。

 武豊騎手に出会ってから、彼の成し遂げていくことが嬉しくて、ずっと後を追いかけてきた。彼の願いは、同じだけ私の夢でもあった。海外GIを勝ち、ダービージョッキーとなり、年間最多勝を更新し続け、抜きん出たトップであり続ける。
 長く長く思い続けてきた夢が叶った。無事でいてくれたことへの感謝。巡り合えた幸運に乾杯。

 憧れ続け、思い続ける。日本競馬において彼は不可欠。彼を超える存在が、簡単に現れるとは思えず、それを願うこともなく。同じ時代を生きることのできる幸福を噛みしめる。同じだけ競馬を愛してきた。移り気な私が、唯一ずっと思い続けている人―武豊。
 彼は天才か?

 ――否
 私の中の“天才”の定義に、彼は当てはまらない。

 

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 続きます…

 


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