mixbeat 第3回ワークショップ『伝える力』 後編 [mixbeat]
文章を、たぶんひとより少し多めに書いてきた、と思う。
インターネット上に書き散らかして15年になる。
文章を読んでいる量は、ひとより多い、とは言えないが、読むことは好きだ。
だから、「お」と思ったタイトルに、内容がない記事やページを目にすると、ものすごくガッカリする。
ブログが流行し、手作業でチクチクHTMLファイルを作らなくてもよくなった。サーバにファイルをアップロードする、とか、いろいろなタグの意味だとか、デザインやレイアウトを自分で考えて表示させたり、だとか。
そんなの一切やらなくても、Webサイトを見る延長で、管理画面に入ってペチペチペチ~、ッと文字を入力して、まあたまには写真でも入れて、ポン、とボタンを押せばそれで1ページできあがり。
みんな大好き携帯電話からも更新ができて、便利すぎるブログ。
ただ便利すぎて、みんながみんなブログを持ってしまったのは、おもしろい文章をネットで探して読む、という趣味を持つ人間には、困難な状況を生んだ。
タイトルに惹かれて訪れても、たった数行の文章しかない、一瞬で読み終わってしまうページや記事がやたらに増えたからだ。
つまらないな、と思う。
そこで語られている内容、テーマそのものに興味はあっても、そのページに内容はない。
読む、というより、一瞬で見えるだけの文章。私の求めているものはない、ということだけはわかる。
同じくブログを持つ身として、訪れたひとに、そんなふうに思われないようにしよう、と強く思う。
*****
わかりやすく、読みやすく。
ふだん気をつけていることだ。
長い文章でも、どんどんその先に進めるような文章。進みたくなる文章。
最後まで読んでもらいたい。そのためにできることは何だろう。
というのが、私の文章を書くときの基本の気持ち。
ブログでもメールでも同じだ。読むひとを具体的に想定できるかどうかの違いだけ。
ビジネスメールの場合、いかに短く用件を的確に伝えるか、に主眼が置かれている。
長いメールを読む時間、そこに返信する時間、を考えれば当然だろう。
だが、メールは大きなコミュニケーションチャンスである、と考えると、毎回無味乾燥な、ただひたすら用件だけをやりとりする、ことに終始していたら、せっかくのチャンスを生かしきれないのではないか、と思うのだ。
それに、いくら短い方がよい、といっても、短すぎて伝えたいことの半分も相手に届いていない、となれば、その1通の意味はないどころか、逆効果になることもある。
つまらない、意味のわからない、勝手なメールを送りつけるひと、というレッテルを貼られてしまうことになる。
ひとは、不快感についてなかなか忘れることができない。
不快感や痛みは、症状が進むと命に関わるからだ。
そして生き物は、気持ちのよいことが好きだ。心地よさをもたらすものに好意を抱くのは自然の流れ。
それなら。いいなあ、と感じられるように、少なくとも不快感を渡さないように、そのために言葉を尽くす、のは決してムダなことではない。
そう思う。
それが私のメールへの考え方。
高じて長くなることも多いから。そのあたりはもっときちんと、相手のことを考えて、さらに磨きをかけていかないとね。
インターネット上に書き散らかして15年になる。
文章を読んでいる量は、ひとより多い、とは言えないが、読むことは好きだ。
だから、「お」と思ったタイトルに、内容がない記事やページを目にすると、ものすごくガッカリする。
ブログが流行し、手作業でチクチクHTMLファイルを作らなくてもよくなった。サーバにファイルをアップロードする、とか、いろいろなタグの意味だとか、デザインやレイアウトを自分で考えて表示させたり、だとか。
そんなの一切やらなくても、Webサイトを見る延長で、管理画面に入ってペチペチペチ~、ッと文字を入力して、まあたまには写真でも入れて、ポン、とボタンを押せばそれで1ページできあがり。
みんな大好き携帯電話からも更新ができて、便利すぎるブログ。
ただ便利すぎて、みんながみんなブログを持ってしまったのは、おもしろい文章をネットで探して読む、という趣味を持つ人間には、困難な状況を生んだ。
タイトルに惹かれて訪れても、たった数行の文章しかない、一瞬で読み終わってしまうページや記事がやたらに増えたからだ。
つまらないな、と思う。
そこで語られている内容、テーマそのものに興味はあっても、そのページに内容はない。
読む、というより、一瞬で見えるだけの文章。私の求めているものはない、ということだけはわかる。
同じくブログを持つ身として、訪れたひとに、そんなふうに思われないようにしよう、と強く思う。
*****
わかりやすく、読みやすく。
ふだん気をつけていることだ。
長い文章でも、どんどんその先に進めるような文章。進みたくなる文章。
最後まで読んでもらいたい。そのためにできることは何だろう。
というのが、私の文章を書くときの基本の気持ち。
ブログでもメールでも同じだ。読むひとを具体的に想定できるかどうかの違いだけ。
ビジネスメールの場合、いかに短く用件を的確に伝えるか、に主眼が置かれている。
長いメールを読む時間、そこに返信する時間、を考えれば当然だろう。
だが、メールは大きなコミュニケーションチャンスである、と考えると、毎回無味乾燥な、ただひたすら用件だけをやりとりする、ことに終始していたら、せっかくのチャンスを生かしきれないのではないか、と思うのだ。
それに、いくら短い方がよい、といっても、短すぎて伝えたいことの半分も相手に届いていない、となれば、その1通の意味はないどころか、逆効果になることもある。
つまらない、意味のわからない、勝手なメールを送りつけるひと、というレッテルを貼られてしまうことになる。
ひとは、不快感についてなかなか忘れることができない。
不快感や痛みは、症状が進むと命に関わるからだ。
そして生き物は、気持ちのよいことが好きだ。心地よさをもたらすものに好意を抱くのは自然の流れ。
それなら。いいなあ、と感じられるように、少なくとも不快感を渡さないように、そのために言葉を尽くす、のは決してムダなことではない。
そう思う。
それが私のメールへの考え方。
高じて長くなることも多いから。そのあたりはもっときちんと、相手のことを考えて、さらに磨きをかけていかないとね。
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