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不屈―ディープインパクト [MY SWEET HORSES]

 つらかったのは。凱旋門賞失格、3着取消なんかじゃなく。禁止薬物検出の後の一連の報道、JRAの態度でもなく。あの日、引き揚げてきた武豊騎手の背中を見てしまったこと、目に焼きついたこと、思い出してしまうこと。

 お祭騒ぎのように。スポーツ新聞だけにとどまらず、Yahoo!の特集ページだの、テレビニュースだのが毎日彼らの姿を映しだしてくれた。従来なら絶対に“生中継”でなんて観られることのない海外競馬。今回は、1カ月だけグリーンチャンネル(有料の競馬情報番組)に加入しよ、と直前まで思っていた。
 NHKが独占生中継を打ち出し、なんと衛生放送でも中継するという念の入れよう。そういえばNHKは、あの子の強さ・速さの秘密を科学的に解明する、なんてテーマで番組を作ったりもしていた。面白かった。

 3冠馬がどういう存在なのか、よくわからない人でさえ。今までひとつもレースを観たことのないような人でさえ、“ディープインパクト凱旋門賞に挑戦”に興味を持ち、期待していた。
 少しずつ聞こえてくる言葉に、私自身は戸惑いを覚えた。

 それでもここまで盛り上がるからこそ。NHKで観られるわけだし。喜ばしくその待遇を受けようと、そんなふうに思ってもいた。




*****






 ジャパンC―
 去年の有馬記念。初めて負けた。「飛んでくれなかった」と言った武豊騎手。勝ったハーツクライは、その後ドバイで世界の強豪を破った。再戦。彼に負けられないだけじゃなく、すべてに勝たなければならないレースになった。

 追い切り後の記者会見で、武豊騎手は笑わなかった。ニコリともしなかった。彼の言葉のひとつひとつが、このレースに込められた決意の現れ。…苦しかった。

 11頭。外国馬は牝馬の2頭だけ。春の3歳クラシック2冠を制したメイショウサムソン、堅実なドリームパスポート、繰り上がり優勝のエリザベス女王杯馬フサイチパンドラの3歳勢にハーツクライ。
 オーストラリアのGIを制したデルタブルース、天皇賞馬ダイワメジャーの姿はなく、もうひたすらあの子がどんな走りを見せてくれるのか、に興味は移ったかのようだった。
 どんなメンバーでも、どんなレースでも。勝たなくちゃならないことに変わりはなかった。



 ポコンと、ぎこちなくゲートを出た。コスモバルクが外から内へと進路を取る。ハナを切った。ハーツクライ、トーセンシャナオーが続く。
 イタリアの天才ランフランコ・デットーリ騎手を背にするウィジャボードは、ディープインパクトを見ながら運びたかったよう。スタートの出がよくないあの子だから、おっとりと進んで最後方につけた。彼女はそれ以上下げられなかった。

 馬群の後ろを淡々と走る。3コーナーから4コーナーにかけての緩いカーヴで、武豊騎手の帽子がスルスルと動いていく。手綱を握ったままの子を追い越し、グイグイと押されている子を追い越す。ただ走っているだけなのに、あの子のスピードだけが異様に目立つ。
 外を回って最終コーナーから直線に向く。ゴールまで空を飛ぶように走る。圧巻なのだ。鳥肌が立つ。次元が違う、ひとりで競馬をしている、いろいろな言い方をされるけれど、見ればわかる。誰の目にも。あの子がどんなふうに走るのか。どんなふうに強いのか、どんなふうに速いのか。


 向こう正面を過ぎてウィジャボードが先に動いた。彼女を追うように一緒に上がる。3コーナーのケヤキの影、現れた瞬間、あの子がグイッと前に出るのがわかる。4コーナーを回り終える。そのときにはもうウィジャボードをかわしていた。
 誰にも邪魔されない大外。府中の長い直線があの子を迎える。曇り空、小雨がパラついた緑のじゅうたん。無事に戻ってきてくれれば、と、それだけじゃダメだとわかっているのに、やっぱり思う。

 コスモバルクをかわすドリームパスポートが内で先頭に立つ。前から捉えるテレビ画面の中で、あの子はまだ2番手にしか見えない。それでも実況の声はすでに「ディープインパクト!」。あの子の名前しかもう聞こえない。

 エンジンがあまりにもスムーズに回るから。ギアがどこで入ったのか、タービンがいつ回ったのか、遠目にはわからない。満員のスタンドがどよめく。誰もが信じていたゴール。

 

 ハデなガッツポーズはしない人が。何度も何度も拳を握り締めた。



 

 とてもおりこうさんで、甘えん坊なあの子だから。凱旋門賞を終えて引き揚げてきて、背にまたがる武坊から、迎えに出た市川さんや池江さん、先生の表情からも、“負けた”ことの意味をわかっただろうと思う。
 自分の前にずっと誰かがいて。横に並ばれて、頑張ったけれど置いていかれて。それがどういうことなのかを、あの子はわかったと思う。

 この日のレースの意味を、あの子もわかっていたと思う。






 自分の部屋で、楓とふたりきり。誰に、何に遠慮することなく、大泣きした。涙がボロボロ出た。全部が押し寄せて、止められなかった。

 




 

***







 2番人気に推されたハーツクライは10着に敗れた。直前に“ノド鳴りがする”と発表した橋口調教師。その影響かもしれない。パートナーのクリストフ・ルメール騎手も、敗因を尋ねられて首を傾げた。
 海外遠征の後、国内でのレースに出走することなく、長い休み明けのレースだった。さすがに苦しいだろう、と冷静に思っていたけれど、あの負け方はつらい。レース後、先生は「もう引退させてやりたい」とまで言った。
 社台ファーム代表の吉田氏は、敗因に休み明けを上げ、ノド鳴りの具合も診るけれど、有馬記念参戦に前向きな姿勢を見せた。だが、そばにいる先生がすでに引退の言葉を口にした以上、巻き返しを期待するのは無理なことのように思う。
 万全の態勢で、もう一度走ってほしい、あの子と走ってほしい。強い彼じゃなきゃ、悲しい。

 

 【追記】
 ハーツクライは引退が決定しました。28日、社台ファーム代表・吉田氏と橋口調教師の間で話し合いが持たれ、敗因として、やはりノド鳴りが大きい、という結論に。
 治療には外科手術が必要となり、年若い馬ならば、時間をかけて復帰を目指すことも可能(皐月賞馬ダイワメジャーは、3歳秋に手術を受け、4歳春に復活し、5歳で秋の天皇賞、マイルCSを制しました)なのですが、年齢と彼の実績を考え、引退・種牡馬入りということに。

 

 ウィジャボードは大好きな子。彼女のレースはマメにチェックして、その美しい走りにウットリしていた。去年のジャパンCでも、当然本命だった。
 ジャパンC3勝のフランキーがどう乗るのか、興味津々だった。このイタリアの天才は、テン乗りだろうが何だろうが、パートナーだけじゃなくレースそのものをコントロールし、勝利をつかむ。
 10番手、ディープインパクトのすぐ前を走り、3コーナー手前で動いた。最終コーナーで、ディープインパクトが外に持ち出すのを見つつ、自分は内に入った。そこで多少、さばくのに時間を要したかもしれない。
 けれど、直線半ばを過ぎ、ディープインパクトが外からドリームパスポートを抜き去った後、タービンが回るウィジャボードは凄まじかった。ああ、これだ!と、彼女に魅せられてやまない自分の気持ちを改めて感じた。

 暮れの香港がラストランだという彼女は、地元ヨーロッパ以外のレースにも積極的に参戦している。ジャパンCは去年に続き2度目、アメリカ最大のGIブリーダーズCもフィリー&メアターフは3戦2勝2着1回という輝かしい成績を残している。
 牡馬にも全く怯むところがない。9月に行われたアイルランドGIチャンピオンSでは、59キロを背負っての2着。勝ち馬は今年の愛ダービー馬Dylan Thomas。牡馬とはいえ3歳馬の斤量57キロにクビ差というのだから、彼女のすごさ、すばらしさがわかるはず。
 来年の春、Kingmambo(キングカメハメハ、エルコンドルパサーの父)との交配が予定されていると聞き、正直今からワクワクが止まらない。


 

 たくさんの“大好きな子”たちが走る。美しさに、強さに、速さに魅せられる。競馬場から去る日が来る。淋しさは大きい。それでも。父になり、母になる日が訪れ、子どもたちに会える日が来る。続いていく幸せ。
 またきっと会える。血を継ぐ存在と出会える。新しい子を見つける。広がっていくつながり。



 

 有馬記念を―見届けたいと思う。


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コメント 2

ディープに関してはあの一件以来かなり醒めてます。
一番許されないのが自分の言葉で会見しなかった調教師。
潔白を示すなら下書き見ながら会見で発言してほしくなかった。
悪いうわさを聞いてるだけに余計腹立たしかったですよ。

ショックなのはハーツクライの惨敗。
まさかこのタイミングで引退まで決めてしまうとは。
アドマイヤジャパンやリンカーンなど、なんでまたディープと一緒に種馬デビューしなきゃいけないんだか。
血の偏りが今後影響出なければいいんだが。

今年の欧州年度代表馬ウィジャボードはキングマンボですか。
世界的に走ってるから、初仔から走りそうですな。
でもJCはもっと早く仕掛けてれば2着はあったよなぁ・・・
by (2006-11-30 01:18) 

柊なお

 放蕩息子さん、こんばんは~♪
 いろいろあるけれど。信じるしかないから、と。ずっと思っていました。
 今回の件だけでなく、狭い世界で大きなお金が動いて。綺麗ごとだけでは全然なくて。
 だからこそ。信じるしかない。それはもうすべてを。疑いだしたら、何も信じられなくなってしまう。
 信じたい、という気持ちを強いものに変えてくれるのが、彼らの姿。一生懸命走る。あの子たちの姿です。信じたいと思い、信じられると感じる。だから。あの子が勝ってよかった、と思います。

 ハーツクライについては、帰国後ぶっつけだったので、危惧はありました。ただ追い切りは動いていたし、ノド鳴りについて、どのぐらいのものなのかわからなかったので、最初は照哉さんと同じ感触でした。
 まさか先生が、ああまで言うとは思っていなかったです。

 リンカーンとは、母父トニービンで一緒ですねえ。それでもドバイを勝ち、唯一日本でディープインパクトに勝った実績は評価高いし、社台ファームなので、よいかと思うのですよ。
 それよりエルコンドルパサーが早々にGIを勝ったので、彼亡き後のキングカメハメハが、そりゃあもう最大のライバルに。

 サンデーサイレンスが作った歴史―これからが勝負。
 いい子に出会える日を、楽しみに待ちます♪

 Kingmamboとウィジャボードは、めちゃくちゃ楽しみですッ!!
 ジャパンCで見たいですー。最強な感じですよねッ
by 柊なお (2006-11-30 23:47) 

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