運命の人 [CLOVER]
『もしもし~♪』
『もしもし。ごめんねぇ、いきなり。…今、大丈夫?』
“一体何時間話せば気が済むのッ”と、ドア向こうから怒鳴られながらも、受話器を離さなかったあのときが、ついこの間のことみたいなのに。あっという間に“電話、1人に1台”時代になってしまった。…そっか、気がつけばもう10年は経ってるんだものね。
キャッチホン(今さら使わない気がする)もなくて、長電話になったら、もう諦めてもらうしかなかったあのときから、話したい相手に直接つながる番号に、自分の電話でかけられるようになった今、相手の状況を問わず、コール音を鳴らせることに、少しのためらいを感じるようになる。“とりあえずはメールで…”、じかに話すことができるのに、逆に電話をかけることが少なくなった。
だから必ず。それは合言葉のように―
『今、大丈夫?(長くなるよ)』
『うん、平気。今、部屋だから(いくらでも付き合うよ)』
『本当にどうでもいいことなんだよね、きっかけは。今、思い返しても、あまりにもあまりなきっかけで、なんか笑いだしそうになるくらい。たまたま…うん…間が悪かったのかな。ホントにたまたま、めちゃくちゃ久々にガーデンズを見かけちゃったのが運の尽きよ』
『ガーデンズ? ファミレスの?』
『そう。デニーズに行こう、ってなって、見つけて、じゃあそこに、ってなった時に、道路の反対側にガーデンズがあったの。で、思わず“わあ、ガーデンズ久しぶりに見た”って言っちゃったら、じゃあそっちにしようか、って言ってくれて』
『うん、いいじゃん、久しぶりなんだし。ガーデンズ行けば』
『う~ん…でも別に私はガーデンズで食べたい、って思うものがなくって、彼のデニーズのフレンチトーストが食べたい、がデニーズ理由でね。反対側だし、ちょっと面倒だな、っても思って、“いや、デニーズでいいよ”って』
『ふ~ん。別に普通の会話だよねぇ。それがどうケンカのきっかけになるの?』
『デニーズでいいよ』
『ええ?』
『デニーズがいいよ。じゃなくて、デニーズでいいよ』
『むむ~…』
『駐車場に入って、エンジン切って、ハイじゃあ行きますよ、ってなったときに、トドメの一撃を喰らうのだけど、それで今度は私がキレちゃって。ここまで来て、もういいやろ、って思って、どこまで言うんや!?って、感じたらイラッとね。で、ほぼ話をしない極寒の夕食』
『嫌なパターンだねぇ。目に浮かぶようだよ。ユウさんの嫌なパターン典型』
『後から考えるとね、あの時、もう少しこうすればよかったんじゃ…なんても思うんだけど、その時はもう全然。口開いたら毒でも出てきますか?ぐらいの感じになっちゃって、とにかくだんまりになっちゃうの』
そうやって結局、その夜は帰ることになった。どこかに泊まって、次の日ドライヴを楽しもう、って嬉しい時間を過ごすはずだったのに。出る前に“ケンカしないようにしよ”と、うなずいた自分は何かを予感していたのかもしれない。
相性が悪いんだな、と思うことは以前からあった。いわゆる“星座”はいいことを言わない。相性って何だ?って思うし、その根拠もあってないようなものだし、信じるならそれもヨシ、信じないならそれもヨシ程度で、グズグズ気にすることじゃない、って思ってはいたけど、それでもほんの些細な、本当に小さなことでケンカになったり、気まずくなったり、そんなことで?って思うことがあると、やっぱり相性が…と感じてしまう。
わかっているなら、それを気持ちと行動で補えよ、って思う。思うんだよ、だって好きなんだもの。
『帰りのクルマの中でね、仲直りしよう、って言ったの。結局帰ることになったけど、このまま別れるのは嫌だな、って思ったし、しばらく会えないから、会わない時間っていろいろなことを変えちゃうから。そしたらね』
『うん』
『デニーズとかガーデンズがどうとか、じゃなくてさ。オレばっかりが決めて、それについてくるだけ、っていうのはつまんないだろ、って』
『ん?』
『二人で考えて、それで決めて、二人で楽しもうよ、ってことなんだと思うけど…』
『…それで?』
『…根が深いな、と』
“どこ行きたい、何がしたい”がいつも明確にあるわけじゃない。ただ一緒にいれば、あてのないドライヴも楽しかったりする。
考えてないこともなかったんだけど、でも、“それでいいよ”っていう気持ちだっただけ。あえてどうしたいこうしたい、って強く主張するものがなかっただけ。どうしても!って気持ちがなかっただけ。
それだけだったのだけど…。
深く考えてなかった。それが彼をつまんなくさせることになるなんて、思ってもみなかった。それが原因でケンカになるなんて、そのことで嫌な気分にさせるなんて思ってもみなかった。
『相性、よくないんだな~、って』
『………』
『きっと相性がよかったら、もっとこう…なんていうか、たぶんお互い特別に何か言わなくても分かり合えちゃったりするんだよ。行きたいとかこうしたい、とかそういうこと、あえて言わなくてもさー』
『ごまかしてんじゃない?』
“ねえ? アヤさんもそう思わない?”口にしようとした言葉が舌の先で止まった。
『相性がどうの、ってよくわからない。わかってて好きになるわけじゃないでしょ? 一緒にいる時間が長くなって、だんだんわかってきて、それで“あれ?”って思うとして、そこからは、お互いの気持ちの持ち方なんじゃない? ユウさんの言いたいことわかるよ。根が深いっていう意味もわかる気がする。一時的なケンカじゃなくて、しっかり治さないとダメかもしれない、って、そういうことだよね? そこまでわかってるのなら、わかった上で彼のこと好きなら…』
『わかってる』
その先の答えは知ってる。
彼女の言葉に何を期待していたんだろう。“私もそう思うよ~。ヒドイ男だよねぇ”なんて、相槌打ってもらって、二人でピーナッツをつまみながら夜中に、テレビを眺めながらまったり、時々声を立てて笑って、そんなふうにスッキリしようって思っていたのだろうか。
それとも、“うんうん、それで?”とひたすら自分の愚痴みたいなつぶやきを、聞いてほしかっただけなのだろうか。
どんなふうになっても、それはそれできっとよかったと思う。彼女は私の大切な存在、もう誰より長い付き合いになる。そう彼よりも、ずっとずっと長い。彼女の言葉なら、素直に聞くことができる。それでも正直言って、最後の言葉は耳に痛かった。
どんなふうになっても、よかったと思う。だけど、彼女の言葉は、一番効く薬だった。
『知ってる』
彼女の声は、電話の向こうで少し笑っているように聞こえた。“素直じゃないんだから”そんなふうに言ってる気がした。
『ありがと』
『何言ってんだか。ほら、電話かかってくるかもしれないよ?』
『それはないなー』
『そうかなァ。あの曲、かかるよ、きっと。…っていうか、あの曲がもうすでにさァ』
『…答え?』
『さあね。まぁ、でもイマドキ何度でも現れるらしいから』
アハハ、と笑って彼女は言った。
“また電話するね”と言って、ボタンを押した。電池がひとつ欠けていた。日付の変わった時間、今夜はもう鳴らないだろう。充電するためにアダプターに差し込む。見つめるお気に入りの赤い携帯電話。もう鳴らないと思うけど…
マナーモードを解除した。
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